南西に向けられて建てられた正門(やぐら門)。門を挟むように両側に石垣がせり出している。
また、正門の近くには城壁の一部を取り除いた部分があるが、これは第二次世界大戦当時、日本軍が防空壕を作ろうと工事を始めたが、石垣の構造がとても堅固で作業が難航したため、諦めて撤退したとされている。
鍛冶を行っていたところとされているが、城のためか集落のためか定かではない。
一説によれば護佐丸が阿麻和利に備えるために武具を造っていたとも伝えられている。
兵馬の訓練をしたといわれている西の郭。長さが120mある。
首里の王を拝む首里遙拝所がある。他にも神の島・久高島を拝む久高遙拝所など場内には8つの拝所がある。今も拝む人が絶えない。
中城城で最も広い一の郭。正殿があった。
後に間切番所が建てられ、廃藩置県後は中城村役場に使用されていたが、沖縄戦で焼失した。
一の郭と二の郭の石積み技法は布積みである。
二の郭の曲線の美しさは一際人目を引く。
護佐丸が井戸を取り込み増築したとされる北の郭。
井戸を取り込む事により、長期の籠城にも耐えられるようにしたとされる。
後に増築されたため「新城(ミーグスク)」とも呼ばれ、石積み技法の最も進んだ相方積み(亀甲乱積み)によって築かれている。
北の郭にある大井戸。また、西の郭には「夫婦井戸(ミートゥガー)」と呼ばれる2つの井戸がある。
城郭内に水を確保していることが、この城の特徴である。
北東に向かって建てられた裏門。
ペリー探検隊一行がエジプト式と評した精巧なアーチ門がひときわ美しい。
見晴らしの良い広々とした馬場から三の郭を望む。
中城城跡の広場